些細なこと―葬儀でのお寺さんお迎え役(書くのも馬鹿馬鹿しいメモ)
些細(ささい)なことであるが、現代の状況を示す逸話として記述。(書くだけ時間の無駄の記述)
本日、近所の葬儀で、坊さん案内役を務めたが、何もなくほっとした。
運も良かった。行きがけに交通事故で渋滞などがあったため良かった。何が良かったのか。
契約のズレ問題から生ずるトラブルがなくて良かったのである。
葬儀は本日午前十時から開始された。
僧侶は午前十時からのお勤めをすればよいという契約しかしていない。
よって、後に述べる今日の状況では通常、葬儀までの間に別の仕事をしている。そこで、僧侶は午前十時に間に合ように出かけるよう計画をしている。ときには別の仕事の関係で午前9時40分(若しくはせいぜい午前9時30分)自宅発しか無理と考えているときもある。
他方、葬儀を司(つかさど)る者は僧侶に葬式開始の時間は伝えても、僧侶を迎えに行く時間は言っていないことが多い。
実例をあげよう。
何年か前の話である。
我が家界隈(かいわい)から僧侶案内人としてタクシーで僧侶宅に行き、僧侶をタクシーに乗せて、葬儀会館に行くことになっていた。
タクシーが午前八時二十分頃到着して、僧侶宅に行かされた。僧侶宅には午前八時半頃についた。僧侶(故・前僧侶)はこの日T市での朝の仕事か何かが入っていた。同時に、午前十時からの葬儀を勤める契約しかしていない。そこで午前九時四十分か三十五分に僧侶宅発しか無理と考えていた。その結果、タクシーの運転手を一時間十分ほど待たすことになる。
しかし、タクシーにすれば通常のメーター以外に多少御礼が出るので文句も言えずに、七十分ほどメーターもあげずに待つことになる。これでは、多少の御礼では採算にあわぬこともある。そこで、私はタクシーの運転手さんにメーターをあげていただいて結構と言ったこともある。他方、誰でも葬儀費用は安くすませたい。こうした矛盾が生じてくる。このときの運転手さんは親切な人で、事情を理解して、メーターもあげずに一時間以上待ってくれた。平身低頭であった。
これを防ぐには、僧侶に、何時から葬式を開始ではなく、何時に迎えに行くかを伝えて僧侶の了承をとっておかねばならない。それをいいかけても田舎では、船頭多くして船山へ登るである。聞く耳持たぬときも多い。
今回は、葬儀会館か葬儀委員長が僧侶に葬儀の時間以外に、迎えに行く時間を連絡してくれていたのかもしれない。ここ数年は私が直(じか)にしていたときもあるが、僧侶の都合をきかずに、誰かが迎えに行く時間を決めた後での連絡のため、調整が難しいときも多かった。そのときはタクシーの運転手さんに平身低頭、平身低頭の連続である。
僧侶は昔と異なり今は多忙な場合が多い。実際、現在、我が街の主要産業は葬儀関連と言っても良いくらいである。
2015年現在、少子高齢化社会の関係か坊さんは忙しい。
一日に幾つもの仕事をこなさなければならない。
葬儀、人生の最大の出来事である。斯様(かよう)な葬儀が入ったので、それだけに専念しようなどは夢物語である。
法事の予約も幾つもある。会議もある。他の勤めもある。これらの予定が既に一杯のときに、突然葬儀が入るのである。
本日は運が良かった。三つの点で運が良かった。
一つは我が家前からタクシーではなく、私自身が葬儀会館に着いてから、迎えに行くとなっていた。よって、最悪のケースでも、我が家発八時三十分であるが、もし、十分前にでても八時半頃葬儀会館着である。即迎えに行っても、8時37分僧侶宅着であり、もし僧侶が急がしくても、最悪の場合の最大限の待ち時間は55分から一時間程度である。しかし、本日はきっちりと我が家界隈八時半発のため、葬儀会館につき、即僧侶を迎えに行っても8時47分頃僧侶宅着となり、最悪でも四十分程度の待ち時間ですむ。
ただし、これでも問題は大きい。タクシーの運転手さんに十分なお礼をするときのみ問題は減る。だが、誰とて葬儀費用は安くしたい。しかし、運転手さんも生活がかかっている。僧侶も先の如(ごと)く、契約は午前十時からの葬儀を司(つかさど)るであり、それまでは他の仕事をしなければ仕事をこなせぬのが現代である。
{※注・時間はおおよそであり、正確な数値ではない。お寺で軽く一時間以上待ったことは事実である。}
二つ目が本日は交通事故で渋滞があり、到着が少し遅れたことがある。これで最悪の場合でもタクシーを待たすのは四十分程度ですむ。最悪でなければ二十〜三十分程度ですむ。
三つ目が、本日は誰かが僧侶に僧侶を迎えに行く時間を伝えてくれたのかもしれない。いつもは私が連絡しないときは、葬儀の時間のみ伝え、僧侶を迎えに行く時間を伝えていないときがあった。私が伝えるときでも、僧侶の都合抜きで、一方的に迎え時間を決めてあるため、調整が難しいことが多かった。何度も言うが、今のご時世は、僧侶は葬儀前でも通常は他の仕事をしているときの方が多いのである。(僅かな待ち時間ではない。待ち時間は一時間を超えたときもある。)
最後にJokeを絡めて言えば、坊主丸もうけの時代、すなわち、坊さんは田舎では超多忙なのである(坊主丸儲けは寺によれば、寺修復費用などの出費で事実でないかもしれないが、超多忙は事実である)。都会は葬儀離れやアルバイト僧侶の関係で不明であるが。
過疎の村では神社を維持するのは至難のわざ、他方、僧侶は通常は超多忙で、葬儀関連の商売のみが流行(はや)るご時世である。
今回は、誰のおかげか不明も、誰も困らずに助かった。過去はお寺さんお迎えで、一時間以上(70分程度か80分か)待ち、タクシーの運転手さんに平身低頭の経験があったことは事実である。今回は渋滞問題があっても最高でも四十分の待ち時間の危険性があったが、運良く回避された。助かった。
待たせても僧侶が悪いのではない。契約内容を見なければ不明であるが、午前十時からの葬儀となっていれば僧侶はそれに穴を開けぬ限り、契約違反ではないからである。要するに、僧侶を迎えに行く時間は僧侶と相談してきめぬと、タクシーの運転手が泣くことになるであろう。同時に平身低頭の私も冷や汗の連続となる。
過去は軽く一時間以上僧侶待ちの事例がある。だが、契約内容を見ないと不明であるが、僧侶が悪いのではない。今の住職は大変若い女性僧侶のため不明であるが、前住職のときは超多忙であり、T市での会議その他を葬儀前にこなしていたときもあった。よって一方的に迎えの時間を言っても、通じぬ。{「早く来られるのは勝手ですが、その代わりに長時間お待ちしていてください」となる。「それが嫌ならば事前に迎えの時間の連絡の相談を」となる。「一方的に迎えの勝手に時間を決めてから言っても、運が良ければあわせますが、他の仕事があれば知りません」、が前住職の方針であった。筋は通っているため、私自身は文句は言っていない。だが村で説明しようとしても……である。寺と住職ごとに方針も、多忙さも異なる。全ての寺を同一に考えてはいけない。人生それぞれ、お寺もそれぞれ……である。}
もちろん、「迎えの時間を決める際に住職の都合を聞く必要性」と前例(一時間以上待ちの)の解説をしようにも、聞く耳持たぬが村社会である。タクシーの運転手に十分なお礼をする、というならば別であるが。
また葬儀会館も儲(もう)かっているのか、本日火葬に行き戻るともう別の葬儀の受付が二つ入っていた(一度に二つが限界のホールである)。よって、大ざっぱとなる。これを解決するには葬儀会館をもう幾つかつくり、葬儀会館のサービス競争させた方が良いのであろうか。
同時に、本日はトイレにいけてよかった。坊さん案内人は時にはトイレに三時間程度行けないときがある。昔はこれでよわり、僧侶案内が終わるまで、夏でも水分を控えていた。僧侶もトイレは途中ではいけないのである。大したことないようで、ときには大変なのである。本日は途中でトイレに行けて助かった。
実につまらぬメモのため、ほとんど見直しもせずに、私的ブログに記載とする。こんな内容はTwitterや私のHP類に掲載できぬ。ただし、世相の反映としての意味はあるかもしれない。
【追記】
斯(か)く言う、私もフィールドワークとか、昔の全盛時代は秒単位で動いていた。もちろん、今回の如(ごと)く、つまらぬメモ・覚書を記す暇もなかった。だが、あの頃が夢物語である。村から解放され、自由に、ビジネスも含めて自分の能力を全開し活躍できる日を祈願して、はや30年近い。63才を前にして、後がないため、今度こそ自由の身で、自分の力を発揮でき、かつ老後の安定のための収入のある世界へ旅立つことを祈願している。更に、大義にも邁進(まいしん)したいのであるが……。大義については折々ふれていく。
こんな些細(ささい)なことを書かねばならぬ世界に閉じ込められているこの身が悲しい。
今回の文章は一部催眠誘導で書かされた疑惑がある。何故ならば、私は他に書かねばならぬもの、せねばならぬことが山積しているからである。こんな物書く暇がないのが現状である。
こんなメモ記している限り、私の人生は無でしかない。
【追記の追記】
この文章を記した後で、今月(6月)の歌・The Snowmanに大ミスを発見し、本日徹夜か。この文章を書かなければ寝られたのに!やはり、田舎監禁は人生のロス。私にとってはとっくの昔に桎梏(しっこく)と化している。
【2015年6月6日再度の追記】勿論、僧侶が葬儀に遅れても困る。
問題の解決策は僧侶を迎えに行く時間を事前に僧侶と葬儀会館か誰かが相談して決めるという単純なことである。その後でタクシー会社に連絡をとるである。
葬儀は予期せぬため、それは不可能と言うならば、事前に葬儀が午前十時のときは●●時△△分に迎えに、午後一時のときは■■時▽▽分に迎えとする、と僧侶と葬儀会館か責任者が葬儀あるずっと前に(既に現時点で)決めておくことである。例外は、運送の有無にかかわらず、タクシーを事前に丸一日か半日借り切っている場合であろうか。
葬儀会館、僧侶、タクシー……いずれもサービス業(商売)であるが、自分だけが困らぬようにと一方的に物事を決めてはならない。事前の相談、これが唯一の解決作である。
2015年06月06日
些細なこと―葬儀でのお寺さんお迎え役(書くのも馬鹿馬鹿しいメモ)
posted by takachan at 00:12| 日記